主任講師 宮川ゆか

広島生まれ

一人っ子で生まれる

父はサラリーマン

母は専業主婦

 

母もピアノをしており、家にピアノがあった

4歳の時にピアノを習う

一人っ子のためか時間のかかる子だった

周りもそれをよくわかってくれて温かく見守ってくれた

 

動物が大好きでよく野良猫を拾ってきては、母を困らせていた。

 

絶対音感

物心ついた時には家はクラシック音楽であふれていた

母が好きでよく聞いていた

そのせいか私は耳がよく、絶対音感が身についていた

 

小学校

耳が良かったのでピアノはどんどん進んでいった。

母がピアノが好きだったので家庭練習はよく母に見てもらった。

 

4年生からバイオリンも習った(中学生まで)

きっかけは母が習うことになり便乗

母がいろんな楽器の先生のグループに入ることになり

その関係であるピアノの先生から、私が教えてあげたいとなった。

それまでの教室は片道40分

この先生はもっと近くだったこともあり、5年生の時に変わる

ところ厳しい先生でよく叩かれた。

それまで温かく見守ってくれる人ばかりだったので、びっくりした。

音楽発表会の時の伴奏に選ばれたりするようになる

 

中学校

部活はバレーボールに入るも幽霊部員

この頃になるとレッスンの回数が増えて週二回の時も。

学校の勉強は、はじめは全然できなかった

英語のテストも60点

ショックを受けて勉強も頑張るように

ピアノは2時間

弾き終わるとご飯食べてお風呂に入って

10時くらいから夜中の1時過ぎまでひたすら勉強していた。

この甲斐あって、平均点95点

学年5位には入れていた

 

周りは遊んでいるのにいつも自分はピアノ

誘われてもみんなと一緒にできない

疎外感を感じたし、

成績が良くてピアノも上手。

方言が強い地域だったが、両親が標準語だったため

お高く止まっている・・・

そんな風に女の子たちから思われていたのかもしれない。

 

中学2年、戦争の劇

負傷した兵士が帰還するシーンで

ベートベンの月光ソナタを弾いてほしいと言われた

1楽章と3楽章を2分半でまとめてという無茶振り依頼が・・・

自分でなんとかまとめて弾いた

もともと指が回るタイプだったのでみんなにびっくりされた

この頃から音楽の道にと考えるようになった。

ピアノの先生に相談すると、音高ではなく大学からがいいと言われた。

 

広島県立福山葦陽高等学校

部活は野球部のマネージャー

一年だけと決め、しっかり活動。

ピアノの練習に打ち込む。

帰宅が9時、10時。

音の出せる環境だったので12時までピアノの練習をする毎日。

これまで練習は嫌いだったが、目標が見えてからは違った。

体力的にはきつかったが、やりがいがあり、楽しかった。

この頃、体力のためにめちゃ食べていた。

 

高2から音大受験に邁進。

週2回のピアノレッスン、さらにソルフェージュでもう1日レッスンに通った。

 

悲劇が!

マネージャーをやめても、食欲はそのままで激太り。

8キロ増。

会う人、会う人

「パンパンだけど、どうしたん?」

と言われてやっと自分が太ったことを知る。

食事制限をして、卒業までには元の体重に。

 

運命の出会い

一人っ子で甘えっ子。

実家から通うのが前提。

2校しかなく、夏期講座に行き、運命の出会い。

素晴らしい先生に会えて、絶対この先生にレッスンを見てもらうんだ!と

心に火がついた!

6時から練習。

いったん食事休憩

8時から夜まで練習の毎日。

 

受験本番

冷静に弾けて見事合格。

倉敷作陽大学 音楽部 ピアノ科に入学する。

 

そう思えたのには理由があった。

大学へは音高から上がってきた友人も多く、ソナタなどしっかり弾いていた。

私は先生の指導方針からあまりソナタなど弾かずにきたので負い目を感じてしまった。

でも、焦ることはないと自分に言い聞かせた。

大学4年の間に卒演に出れるだけの実力を身につけよう。

もともと没頭型だったので、友人関係が広がり遊びのお誘いもあったが、基本ピアノに集中した。

30人中数人しか選ばれない卒業演奏会の出演者に選ばれた。

嬉しかった。

バッハ 幻想曲とフーガ

 

卒業

まだ自分は勉強したい。

専攻科に残ることを決める。

専攻科は3人。

連弾をしないといけなかった。

が、気を使う性格が災いして彼女のペースに巻き込まれて大変だった。

 

地元の音楽教室に就職

 

25歳で結婚

並行して自宅でもレッスンを開始

50人の生徒を見る

 

27歳で出産

楽器店は退職し、自宅の生徒のみに。

ただ、なんと出産一週間前までレッスンをした。

 

この頃生徒指導で悩み始まる。

皆、楽しそうにレッスンにきてはくれるが、向上心があまり見られず、このままで良いのかと葛藤した。

 

教材研究

29歳の時に、娘が幼稚園にいったのを機に、娘を幼稚園に送り出してから、帰ってくるまでの5時間、みっちり教材研究に明け暮れた。

 

導入期の教材研究

生徒に向上心が出てこないのは、自分のせいだ!

そう思い、導入期の教材を買いあさり、特徴をノートに書き出したり、ピアノで音を出したと。

もともとあった分析魂に火がつき、生徒の性格なども分析するようになった。

1年みっちりやったところ、徐々にレッスンの仕方が変わっていった。

 

今までは、こう弾いて欲しいというのを漠然と伝えていたが、この楽譜は、こういう意味でかかれてあるので、こう弾くんだよ。と的確に伝えられるようになった。

徐々に上手になる生徒が増えていき・・・

 

31歳の時に第2子出産

いよいよ33歳の時に初コンクールチャレンジ

ステージでの生徒さんの演奏に手応えを感じた

 

結果は!

初チャレンジで褒賞をいただけた。

喜んでいる生徒さんと保護者の方の笑顔を見てとても嬉しくなった。

 

一年半に一回行われる発表会

同業のピアノの先生も見にきてくださっており

『どうやって指導しているんですか?上手ですね。』

といっていただけた。

 

地元で評価されていると思うと今後も頑張らねばと思う。

 

生徒実績

期待される青少年コンサートで多数受賞

ブルクミュラーコンクール 地区本選 進出

ヨーロッパ国際コンクール 全国大会

金賞(小6)、銀賞(小4)